三陸海岸、姉吉。入り組んだ三陸海岸に面するこの場所では、2011年3月11日の津波が狭く急な谷の奥、標高約40 m の高さまで駆け上がりました。その波の流れは強烈で、もともあったキャンプ場の施設はおろか、谷を覆っていた森や土壌、さらにはその下に隠れていた岩盤まで引き剥がし、緑豊かだった景観は、岩が剥き出しの荒涼としたそれに一変しました。

 この谷に津波が侵入したのは今回が初めてではありません。1960年のチリ地震津波、1933年の昭和三陸津波、そして1896年の明治三陸津波。明治以降だけでも、少なくとも3回もの津波の侵入を受けています。とくに明治三陸津波と昭和三陸津波は大きく、2011年の津波と同等かそれ以上に、大津波が谷を遡上しました。これらの津波はこの土地に住む人々にとって教訓となり、谷を海に下る道沿いには「ここより下に家を建てるな」という石碑が設置されていました。この教訓が生かされ、2011年の津波では幸いにもこの場所での津波による人的被害や家屋の倒壊はありませんでした。

 歴史的に何度も津波の影響をうけているこの谷は、より長い目、つまり、100年、1000年といった時間スケールでみたときに、谷のかたちそのものに少なからず影響している可能性が考えられます。そこで、今まさに「削られた」その谷の詳細な形状を測ることで、「地形」に記録された津波の痕跡を明らかにしようと、調査を進めました。

 調査の方法は、「地上レーザ測量」と呼ばれるものになります。地上レーザスキャナ(TLS,terrestrial laser scanner)から発射されたレーザは、周辺の対象物(地形、建物、木など)から反射し、その到達時間から距離がわかります。角度も同時に測ることで、3次元の形状を示す点が多数取得できます。これを点群と呼びます。

 この動画は、姉吉(岩手県宮古市重茂)の海岸付近を「地上レーザ測量」によって測量し、得られた点群データから姉吉の地形を描写したものです。動画の25秒目あたりから、海岸から入り組んだ谷へ入っていく様子を見ることができます。この姉吉の谷では、2011年の津波の高さが海岸付近では約20 m、狭窄したところで最大遡上高は約40 mに達しました。一見すると写真かのように見えますが、地上レーザ測量では、航空レーザ測量や空中写真測量よりも遥かに高解像度のデータを得ることができます。津波による地形の侵食は比較的小規模であるため、地上レーザ測量のように高解像度のデータを得ることが鍵となります。

 地上レーザ測量によって得る点群データの中には、斜面の情報だけでなく、植生や復興過程で建設された新しい電柱などの斜面上に存在する自然や人工物の情報も含まれているため、正しく地形を解析するためには、斜面以外の情報(ノイズ)を除去し、地表面だけの点群データにしなければいけません。この動画は総数7,342,548点の点群データのうち、それらのノイズを除去した6,507,913点ものデータを用いて作られています。

 実際に、これらの点群データから得られる地形を解析すると113個の小崖が存在しており、そのうち83%が標高10 m以上に位置していることが分かりました。この小崖は何らかの要因によって斜面の岩盤が侵食されたことでできたと考えられます。姉吉の谷幅は比較的広く(30〜100 m程度)、豪雨などにおいてこのような高い位置まで増水することは考えにくいため、これらの小崖は河川の流水によってできたものではないと考えられます。つまり、これらの小崖は過去の津波によって、斜面の岩盤が侵食されて形成されたものと推測されるのです。このように、地上レーザ測量によって得られた高解像度の点群データを解析することで、目では判断しづらい微細な地形の変化を読み取ることができ、その地域で過去に起きた津波などの災害の歴史を紐解くことにつながるのです。

 下の図は、その解析結果の一例です。地上レーザ測量によるデータから、谷を横切る断面をたくさん抽出し、その形状を分析すると、露出した岩盤に「崖」のような地形がある部分-津波の浸水高の近くにまとまって分布していることがわかりました。つまり、津波が侵入することにより、その水面付近の強い流れが岩盤までをも削り出し、こうした地形をつくることが示唆されました。


(Hayakawa et al., 2015: Fig. 4A)

地図

※被災地の航空写真はズームがデフォルトより上でないと表示されません。
※色別標高図はズームがデフォルトより下でないと表示されません。

画像

TBA

動画

三陸海岸・姉吉、谷から海岸へのアプローチ from ysh on Vimeo.

360°コンテンツ

TBA